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【ただのコラム】鼻水と母性

コラム

 

あなたは、どのような人に対して『母性』を感じますか?

ここでの母性とは、母親として自分の子供を守り育てようとする本能的特質(ざっくり辞書より)の方ではなく、他者に対する圧倒的な許容の方の母性です。

「なんか安心する」「なんか心を開ける」「面倒見がいい」など、他人に母性を感じる要素を並べると概ねはそのようなものになるかと思います。

なぜ唐突にこんな問いかけをしているかというと、私にとって「他人に母性を感じる明確な要素」というものが顕在化した出来事があったからです。

発表します。

私が母性を感じる人とは、自分が鼻水を垂れていても恥ずかしくない人

です!

ですって言われても困りますよね。
立て続けにそれを実感することが起きたので、新年早々鼻水と母性の関係について聞いて欲しいんです。

つまり立て続けに人前で鼻水を垂らしたことに他ならないのですが、私は潤み目ならぬ潤み鼻なんですね。

たら〜タイプではなく、ツってやつが割と常にいて。
何か鼻にとんでもないカルマを抱えている。

お手洗いに行った時は必ずチェックして対処しているんですが、そのタイミングを逃したらもうアウト。
次に鏡を見た時には、乾いて鼻の穴の縁が白くなってるんですよ。

鼻の穴の縁が白い。
どう思うと思います?
そりゃまぁーーーーーーーもう顔から火を吹くほどがっぺ恥ずかしいです。

なんとかそれを目撃した人にめちゃくちゃ良い条件での転職のオファーがあって私の件はうやむやにならないかなって。。。宝くじの1等が当たらないかなって。。。鼻に関する記憶の部分だけの無害なロボトミー手術ってないのかなって。。。最悪相手じゃなくて私でいいから催眠術にかけてもらって記憶消してくれないかなって。。。

だってーーーーー!!!恥ずかしいんだもーーーーーん!!!生きていけなーーい!!!

「鼻周りの粗相」ってなぜこんなにどうにもこうにも絶対的に恥ずかしいのでしょうか。

目周りや口周りで起きることに比べて破壊力が違いすぎる。

それと対峙してしまった側の気持ちを
①気まずさ
②話の入ってこなさ
③見ないふりの難しさ
④注意してあげたさ
⑤注意できなさ
というレーダーチャートで表すと見事すぎる綺麗な五角形なんですよ。満点ですよ、満点。

その満点を私は何度か叩き出してるんですよ。

あーーーーー恥ずかしい。

それと同時に、こんなに恥ずかしいのは、私自身が他人の鼻周りの粗相に対してもきっと「有りとしていない」からなんだと思います。

その私の器の小ささも含めて、母性によって鼻水が許されたショック体験をしたのでお話をしたいと思います。
するったらするんです。

時は遡り2019年、歯医者でホワイトニングを受けてきたある日のこと。

担当してくださった方が私より10個以上は年上の女性の方で、カウンセリングの時から話しやすいし質問がしやすいし良い感じの方だなぁーって思ってたんです。

私がホワイト二ング時に発生する痛みの説明に怯えまくっても急かさずに3つぐらい選択肢を提示してくださって、こっちが努めてしっかりしなくていい体勢を整えてくれているというか。
甘えちゃっていいような、そういう感じを勝手にキャッチしていたわけです。

私が受けたホワイトニングの施述時間は1時間と結構長いんですね。

口をずーっと開きっぱなしだし、怖いので身体は緊張しっぱなしだし、口と近い鼻周りにまぁまぁ何かが起きやすい状況なんですよ。

ホワイトニングが終わると、寝たまま手鏡を持って一緒に歯の色の変化を確認するんですが…

真っ先に目に入ってきたものは、歯の白さよりも片方の鼻の穴の縁でうっすら白く乾いてる鼻水。
その時の感覚を何と表現すればいいのか。

恥ずかしくない。
私の日常の地続きが一ミリも揺らぐことなく何かによって守られている。

平穏というショックの中、鼻水の件はスルーして「わー白くなったー!」なんつっって無邪気にホワイトニング効果にはしゃげた私がいたんですよね。

歯医者を出てからも、いやーしかし今日の鼻水は恥ずかしくなかったなぁって、狐につままれたような不思議体験を噛み締めてたんですよ。

噛み締めたあまりに、帰りの電車で友人に「ねぇ、今ホワイトニング受けてきてさ、手鏡見た時鼻水が固まってたんだけどなんか恥ずかしくなかったわ」ってメールしたんですよ。
優しい友人は「鼻水は出ますよね」と返してくれて、「鼻水は出るのよ」ってことでそのやりとりは一旦終えたんです。
そうしたらしばらくして時間差でその友人が改めて「母性ある人の前だと鼻水恥ずかしくないってなんでしょうね。すっごくありますよね。そんでその人のことめちゃめちゃ信頼しちゃいますよね」と伝えてきたんです。

なんと、友人も私がした鼻水平穏ショック体験を噛み締めてくれたらしく、鼻水が恥ずかしくないという革命についてしみじみ考えてしまったと。
「ある。鼻水恥ずかしくない人には心開いちゃう」と返信しながら、そうか、私が感じたあの感覚は母性だったのかと分かったんです。

そこから水以外の鼻周りのアレやコレやに話は派生して…鼻周りと母性は直結している説が生まれたのです。

これってなんで母性を感じるかですけど、やっぱり赤ちゃんや子供の鼻水を優しく拭いてあげてるお母さんや保育士さんのイメージからきているんだと思うんですよね。

大人になると垂れる関係や飛び出る関係やはみ出る関係は極めてコントロールしていかなければならないものであって、その暗黙のルールから激しく逸脱することは、「ちょっとやばい人」という位置付けをされてしまうことは不可避です。
でも、大人だって諸々対策やコントロールをしているだけで、緊張感を失ったら割と容赦なく垂れるし飛び出すしはみ出します。
その緊張感を本当にたまたま失ってしまった時のミスはやっぱり起こるじゃないですか。
あらゆる対策を講じている人だって、予想外の不慮の事故が起きる可能性はいくらでもあるわけです。

で、そんな時やっぱり「許されたい」んですよ。
見ないふりとかではなく、見た上で全てを許容して欲しい。

本来あまり許されないものだからこそ、許してくれる人がいたなら、関係性がどうであれそれはもうマイマザー。
そんなことに思いふけりながら過ごしていた時、 第2のマザーが現れたのです。

またまた場所は歯医者。
歯医者のマザー率の高さたるや驚異的です。

私は以前に、頑固と横暴と粗野を煮込んで濾して固めたような歯医者さんの手荒い治療を受けて以来、歯医者恐怖症になってしまったというバックボーンを抱えております。

そこで、睡眠麻酔を取り入れている無痛治療を行っているクリニックに通い始めたんですよね。

こちらの担当の先生は私より少しお若い感じの男性なのですが、この方がまたまぁ安心感の塊で、鼻水抜きにしても元から感動してたんです。
なんとも柔和な言葉選びと口調と手つきに加えて、デザインパーマをあてているので髪までが柔和なんです(癖毛かもしれないだろうよ)
チャラいに足を踏み入れるか入れないかのギリギリのところで、相当できる男性特有の軽妙かつ絶妙な「女性の気持ち先回りトーーーーク」を繰り広げてくれるのです。

いや、はい、仕事なんです。オール自費治療のクリニックですから尚更ごりごりにビジネスなんです。
しかし、そもそものコミニュケーションスキルが当然反映されるわけです。
そこをふまえて勝手な想像のもと「おぬし、相当やりますね」と思わざる得ないのです。

もー安心しちゃって安心しちゃって。身任せちゃって任せちゃって。麻酔打たれちゃって打たれちゃって。
そうなんですから、とある日に鼻水事案は起こったとしても、そりゃ恥ずかしくないですよね。(起こりました)

だってここはマザーのインザ羊水。あー平和平和だ、っつって。

しかーーーーし!

予想外の展開は起こった。

突然、その場にお若くて顔に「純朴です」と書いてある技工士さんが私の歯を見にいらっしゃったんです。
デザインパーマと違って、洗いざらしの無造作な髪。シャイ丸出しのややおずおずとした話し方。
先ほどまでゆったりくつろいでいた私の鼻水が急速に萎縮して「ちょっと…この人には鼻水は見られたくない」と思ってしまった私がいたんですよ。

それが普通だよというツッコミは置いておいてください。

だってここは先ほどまで羊水だったんです。

えっとぉ…とても恥ずかしいし気まずい。あちらもきっととても恥ずかしいし気まずい。
しかし今さら拭くチャンスがない。
拭くことでさらに気まずくなるリスクが高い。
彼の中の私に対するレーダーチャートがぐんぐん五角形になっていくのが見える。
東京に出てきたばっかりなのに(妄想)こんな洗礼を浴びさせてしまって本当に申し訳ない。

デザインパーマだけがマイペースに毛先を遊ばせている。
ある種のチャラさというのもまたある種の母性なのか、と私は思いました。
チャラい人の良さ、チャラい人がモテる理由が腑に落ちた瞬間でもありました。
経験値の高さからくる「そんなこともあるさ」というたおやかさ。

私が勝手にそう思っているだけで、デザインパーマの先生も「すんげーもん見ちゃったな」と本当は心臓ばっくんばっくんしているかもしれないことは否めません。

しかし総じて人は、ミスを犯した自分を恥じ入らない、つまりは自己肯定感に決してマイナスの揺らぎを与えない人を『母性がある人』と認識しているのではないか。

私も誰かにとってそんな人になりたい。

そう強く感じたご報告と願いでした。