【ただのコラム】ブラピ
私にとって、メイクをする意味と生きる意味はいつからか似ている。
楽しかったり義務だったりときめいたり演技だったりうんざりしたり一生懸命になったり振り回されたり面倒くさくなったり、何より、意味など、無くてもいいしあってもいいところが似ているのだ。
でも私は、どちらも意味などなくても、「終わるまであるもの」として、完全に肯定することにした。「自分からは」別れを告げないことにした。
それは確かだ。
その中であえて、意味や理由に立ち寄ったり作り上げたりするのが私の趣味なのだ。
昨日も今日も明日も、「美容」という枠の中で勤しんでいるのはなぜか。そういうジャンルの戦隊にでも入っているのか。人類を救うのか。
何年か前までは、「…で、なんの為にここまでやってるのでしたっけ?」とふと思う時があった。
でも私の知っている大体のヒーローも「何の為に闘っているのか」と度々悩んでいた。
人類を救うというこれ以上ない大義名分があるヒーローだって悩むのだから、私が美容でそう思うのはしょうがない。
しかし、私はもうそこではあまり悩まなくなった。
照準がブラピになったからだ。
えー、壮絶に俗っぽいのだが、私は大真面目にそう思っている。
ブラピで大丈夫ならきっと色々大丈夫だからだ。
ブラピは大と中と小を兼ねる、と聞く。
ちなみに、私がブラッドピットさんを好きなのは事実なのだが、ここにあげる「ブラピ」とは記号であり人物名ではない。
「ブラピ」とは、人生に訪れるイベントであり、チャンスであり、祭りとして捉えていただきたいと思う。
一人の人物を対象とした推しの為の美容、推しの為のメイクも、サブテーマとしては好きだ。
しかし、局地的なものに回収されてしまう気がするので、強欲な私は、それらをも含んだもっともっと未知の祭りの催しに照準を合わせたい。
ここで主軸となる重要な点は、ブラピ祭りに呼ばれることが一番の目標ではなく(いや呼ばれたい)いつ何時、ブラピ祭りが行われても怯まない自分でいたい、ということだ。
前者は大きくコントロールをできなくても、後者は作り上げることが可能だと思うからだ。
ブラピを照準とした時に、その衝撃に耐えうる体幹。
素直に純粋にこんな祭りがあったのか!と堪能したい。
やっばー!!かなり踊るやつじゃん!!これ!!一人だけ格好も全然ちげーし!!となって、ひきつった笑いの自分しか思い出せないということを避けたいのだ。
俺の祭りに呼ばれた時点でいつもの自分で来ればいいんじゃないか?
開催側のブラピはそう言うかもしれない。それも正しい。ありがとうブラピ。
でもさ、いつもの自分って結構幅があるわけ。
ブラピは知らないだろうけど、こちらとしては結構持ってるわけですよ。
厄介な自意識ではありますが、それは無視できない。
無視できないなら活かすしかない。
自分の想像より大きいチャンスがいざやって来た時に、自信がなくて怯んでしまう、そんな経験は誰しもあるのではないか?
そもそもまず、チャンスをチャンスとして受け止めること自体に基礎的な握力が要る。
ブラピですから。腕持ってかれるってもんじゃないですから。
チャンスをきちんと受け止め臨むということは、初めての高い美容液を使って成分が合わず肌が荒れる、ファンデのサンプルを使って色が合わず肌がくすむ、入れたことがない角度でアイラインを入れて隈取りみたくなる、ハイライトを使い慣れないリキッドにしちゃって何が何だか分からない、こんなことにはならないということである。
握力を維持するには、張り切りと空回りの取り扱いを間違わない為には、普段から自分と向き合い、スモールステップを誠実に重ね、裏打ちをし続けることしかないのだ。
私が手にしたいのは、「裏打ちし続けた自分」を出したい時に出せること。
勝負日はいつも本番前にある。
私が尊敬する現実のヒーロー達は皆そう言う。
人類は救わないけど、その闘いをこれからも私はしていく。